渡部与次郎先生の事

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1989年に渡部与次郎先生の著書「おさしづ一日一言」が天理教道友社から出版された。1年365日に出されたおさしづ(御神言)が、解説と共に先生のコラム「ひとりごと」として綴られてあり1~2ページにまとめられていたので、毎日読ませてもらうには丁度良かった。
毎日読んでいるうちに、僕はこの渡部与次郎先生に興味を持った。
文中たまに出てくる愛町分教会初代会長様のことが気になっていたのである。

渡部与次郎先生は昭和4年に岩手県の大船渡に生まれられ、頭脳明晰の秀才で昭和24年東京第一師範学校(現、東京学芸大学)英文科卒業。小学校教師を1年2ヶ月勤めた後、早稲田大学仏文科に入学、卒業。その間、先生が21歳の時、関根豊松・愛町分教会初代会長様にお会いなされ人生が変わる。

下宿先の愛町分教会信者から「生き神様のようなお方。お釈迦様やキリストよりも素晴らしい方」と聞き興味を持たれ、お会いになると、人の過去も未来も見通しの初代会長様にすっかり惚れ込まれた。

昭和29年天理教修養科を修了。その後3年間中学の教師を勤めながら布教される。愛町分教会に5年間入り込まれ、初代会長様の子息の家庭教師と高校の教師をされた後岩手に戻り、愛町分教会岩手出張所を設立。昭和60年、同・愛与布教所長となり、多くの人々を教え導き、平成26年2月10日お出直しなされる。

僕が41歳のある時、新潟で教会長をしている兄から、この渡部先生の勉強会があることを聞いて、兄に誘われるままにこの先生のお話を聞きたさに足を運んだ。

勉強会は大抵毎月25日、渡部先生が岩手からおぢば帰りされた時、当時小學校の教諭をされていたN先生のログハウスで、たしか夜の8時くらいから始まった。(長い時は夜中の2時3時まで、いや明け方までお話下さった)お会い出来、お話を聞くたびにスポンジに水が染みこむ如く不思議な魅力に引き込まれる。いろんな方が口コミで聞きに来られ、皆が疑問に思うことを先生に質問する。
先生はその質問に一つ一つ丁寧にしかも核心を突き、わかりやすくお答え下さる。
とりわけ、相続の間違い(立て違い)と夫婦のあり方(共稼ぎの悪影響)このお話には目から鱗が落ちた。

渡部与次郎先生が亡くなられてもうすぐ2年になろうとしている。お亡くなりになられた年に頂いた年賀状を鞄の中に入れて持ち歩いた。
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先生の霊様に喜んで頂けるよう、お助けの心を持ち続け、助け一条に通らせて頂きたい。それが先生にお教え頂いたご恩返しになると信じる。

先生はとにかく「お助けなさい、お助けなさい。」と口が酸っぱくなるまでおっしゃられた。
「助かりたいはたすからん、たすける心が助かるのや。人を助けて我が身たすかるのや」と。
愛町の初代会長様はこのように通られた。とそのお話ばかりだった。